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ハプスブルク=ロートリンゲン朝

◆皇帝ヨーゼフ2世●実子ナシ
先代マリア・テレジアの子
1741-1790 24歳即位 49歳没
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*啓蒙思想に傾倒し、
また母帝の生涯の敵プロイセン国王フィリードリヒ2世の賛美者でもあったことから、
母帝と衝突することが多かった。

*信仰の自由・宗派の平等を認め、ユダヤ人の解放を進める一方、
病院・学校などの事業に関わっていない修道院を700も閉鎖した。

*宗教行事の簡素化を進め、葬儀の際には<ヨーゼフの柩>を利用して、
麻袋に入れた遺体だけを共同墓地へ埋めるという命令を出した。

*死刑・拷問の廃止、貴族・僧侶も同じ法で裁く、兄弟姉妹に同等の相続権を認める、
農奴の解放など、ヨーゼフ2世が目指した改革は当時としては過激であったため、
貴族からも一般市民からも理解されず激しい反発を受け撤回に追い込まれた。

*モーツァルトを宮廷音楽家として雇った。


■前妻 マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ 死別
パルマ公フィリッポの娘
1741-1763 19歳結婚 22歳没
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ヨーゼフは婚約が決まった時から美しいイザベラに一途な愛情を抱いていた。
温和で知的なイザベラはハプスブルク家にも国民にも歓迎されて、
仲睦まじい夫婦であると思われていた。
しかしイザベラは結婚の前年最愛の母を亡くしており、
自分も一刻も早く死んで母の許へ行きたいと熱望して
修道院へ入る準備をしていた時に結婚話が持ち上がったのであった。

結婚3年でイザベラは病死する。
最愛の妻を喪ったヨーゼフの悲嘆は想像を絶するほど激しいものだった。
心配した妹クリスティーナは迷った後、イザベラとの書簡を兄に見せる。
ヨーゼフのきょうだいの中でクリスティーねとイザベラは特に親しかったのであった。
手紙を見るとイザベラはこの3年間ひたすら死を願っており、
夫を愛したことは一度もない、夫の深い愛に応えられない自分に悩んでいたことが判明する。
イザベラとは相思相愛であったと思い込んでいたヨーゼフは愕然とする。


■後妻 マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン
バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトの娘
1739-1767 26歳結婚 28歳没
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跡継ぎを作るためにと再婚したが、
不細工だったためヨーゼフに見向きもされないまま早逝する。
肖像画からは想像できないが、ヨーゼフの証言によると
『背が低く太っている。歯並びはゾッとするほどで、全身が吹き出物でいっぱいだ』

以後、ヨーゼフは二度と結婚はしないと宣言した。
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by xMUGIx | 2001-02-03 00:00 | オーストリア
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