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by xMUGIx
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ハプスブルク朝

女帝マリア・テレジアの子供たち


●長女アンナ 修道院送り
●ヨーゼフ2世 次代皇帝
●二女クリスティーナ 
ポーランド王子アルベルト・カジミールと結婚
●三女エリーザベト 修道院送り
●四女アマーリア 
パルマ公フェルディナンドと結婚
●レオポルト2世 次々代皇帝
●五女ヨハンナ 
ナポリ王フェルディナント4世の婚約者・結婚前に死亡 
●六女ヨーゼファ 
ナポリ王フェルディナント4世の婚約者・結婚前に死亡
●七女カロリーナ 
ナポリ王フェルディナンド4世と結婚
●フェルディナント・カール 
モデナ公女マリーア・ベアトリーチェと結婚
●八女マリア・アントーニア→王妃マリー・アントワネット 
フランス国王ルイ16世と結婚
●マクシミリアン・フランツ 聖職者


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息子レオポルト2世の証言

母帝はミミを溺愛している。ミミは母帝に好き勝手を言ってそのことを公然と自慢している。
むしろ母王のほうがミミを恐れている。
彼女に嫉妬心を起こさせないように他の皇女たちに愛情を傾けないでいる。
特にアンナにはあらゆる機会につらく当たっていた。人前でも同じ態度だった。

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*もともとマリア・テレジアは王位を継ぎたくなかったので
即位する前になんとか皇太子ができないかとせっせと子供を生んでいたので
早逝した子供も含めて3人続いた娘には失望しかなかった。
父カール6世も男子の孫に譲位することを想定しており
マリア・テレジアに一切の帝王学を学ばせていなかった。

*マリア・テレジアの娘に対する判断基準は
政略結婚に使えるか使えないかにしかなかったのではないだろうか。
政略結婚の駒にも使えないような娘は修道院送りにしてしまう。
子供として可愛がる役割は二女にだけ与えて与えて母親気分を楽しむ。
マリア・テレジアはあらゆる能力に長けていたが子育てだけには向かなかったようである。




●長女アンナ 未婚
1738-1789 51歳没

アンナはダンスが上手で歌もうまく狩猟も得意であった。
学問においては他のきょうだいから抜きん出ていた。
しかし万事が大公子ヨーゼフを中心に展開しアンナの存在など見向きもされなかった。

さらに彼女に不幸が襲った。
脊髄カリエスで背中が曲がってしまったのだ。
彼女はいつもケープで背中を隠していた。
ある時クラーゲンフルトの貧しいエリーザベト尼僧院を視察した際
ケープが滑り落ちて皇女の曲がった背中が丸見えになってしまった。
ところが修道女は誰一人表情を変えず何事もなかったかのようにアンナに接した。
「せむしの皇女」と呼ばれていたアンナは深い感動を覚えた。
そして母帝の死後この尼僧院への移住を決意した。
尼僧院の隣に城館を建てて住み始めると
尼僧院長・修道女・科学者・芸術家・貴族とその妻たちなどなど知的で心温まる交流が始まった。
尼僧院付属の病院も造った。町の人々にも愛された。
孤独だったアンナはやっとクラーゲンフルトで自分の望んだ半生を手に入れたのである。
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●ヨーゼフ2世 次代皇帝
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●二女クリスティーナ 通称ミミ
1742-1798 56歳没
ポーランド王子アルベルト・カジミールと結婚
1738-1822 84歳没

女帝ははミミだけを溺愛した。
ミミは宮廷に仕えていたアルベルト王子と恋愛関係にあった。
とうてい許される恋ではなかったが女帝はこれを認める。
ミミに莫大な持参金を与えた上にネーデルランドの統治権まで与えた。
身分違いの結婚を許したのはミミを手元に置くためだったとも言われる。
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●三女エリーザベト 未婚
1743-1808 65歳没

エリーザベトはフランスのルイ15世と婚約していたが天然痘にかかってしまい
皇女たちの中で一番と言われた美貌を一夜にして失った。
女帝の死後はインスブルックの尼僧院で一生を終えた。
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●四女アマーリア 
1746-1804 58歳没
パルマ公フェルディナンドと結婚
1751-1802 51歳没

アマーリアも目下の者と恋愛していたが、女帝に引き裂かれてパルマ公と結婚させられた。
パルマ公はアマーリアより年下の粗暴でアル中で
栗を焼くことと教会の鐘を鳴らすことだけが好きという変人だったのだ。
母マリア・テレジアはもちろんそのことを知っていた。
これぐらいの人物の方が娘に牛耳らせやすとの判断での政略結婚であった。
ミミには恋愛結婚を許したのに自分には許さなかったこと、
このような夫をあてがわれたことが原因で勝手放題をし始める。
アマーリアに残されたことは母の顔に泥を塗ることだけだったのだ。
当然女帝は何度も娘をたしなめるが一向に聞く耳を持たなかったためアマーリアを勘当した。
パルマ公国はフランス革命の余波でフランス軍に占領され
パルマ公の死後アマーリアはプラハに逃げ2年後に亡くなった。
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●レオポルト2世 次々代皇帝
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●五女ヨハンナ ナポリ王フェルディナント4世の婚約者 結婚前に死亡
1750-1762 12歳没
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●六女ヨーゼファ ナポリ王フェルディナント4世の婚約者 結婚前に死亡
1751-1767 16歳没
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●七女カロリーナ 
1752-1815 63歳没
ナポリ王フェルディナンド4世と結婚
1751-1825 74歳没

五女のヨハンナはナポリ・シチリア王フェルディナンドに嫁ぐことが決まっていたが
天然痘で急死する。
そこで六女のヨーゼファーが代わりに嫁ぐことになったが彼女も天然痘で亡くなってしまう。
玉突き事故のように七女のカロリーナにその役目が回ってきた。
この結婚はまさに事故であった。
夫となるナポリ・シチリア王フェルディナンドは不細工でナポリ訛りのイタリア語しか喋れず
そのイタリア語ですら読み書きができなかったのである。
狩猟と食べることと悪戯以外に趣味はなく身だしなみを整えることも知らなかった。
要するに躾けられていない幼児のままの大きくなったのである。

しかしカロリーナはマリア・テレジアが自分に一番よく似ている子供と
評価したほど政治感覚のある娘だった。。
いつまでも泣いてはいられない。夫の人格改造に着手したのである。
夫は腕フェチだったので夫を説き伏せるには白い長手袋をゆっくり外して見せるだけでよかった。
白手袋でもおだてても脅しても怒っても懇願しても駄目なときは王妃は夫に噛み付いた。
彼は正しく教育されていなかっただけだったようで彼女のしつけでそれなりの人物になった。
そして彼女は18人の子供を生む。
最後の子を生む頃にはもう孫がいたほどである。
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★王妃の愛人ジョン・アクトン男爵
1736-1811 75歳没
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当然政治もカロリーナに任されたので彼女はイギリス人ジョン・アクトン男爵を最高顧問にした。
そして二人は愛人関係となる。
ところがアクトンはカロリーナからのラブレターを公表すると脅しをかけて思い通りに振る舞った。
最終的にはアクトンは彼女の元から去っていく。

そこにフランス革命が勃発した。
妹マリー・アントワネットのことを思うと心は千々に乱れたが
革命の火の粉はナポリにも飛び火しようとしていた。
彼女は国民の怒りの根本を明確に認識していた。
彼女はとにかく食糧供給に奔走したのである。

またカロリーナはマリー・アントワネット一家を救出するため努力した。
娘婿の皇帝フランツ2世に期待を寄せたが小心者のフランツ2世は
会ったこともない叔母マリー・アントワネットのために
わざわざフランスを敵に回すつもりはなかった。
グズグズしているうちにマリー・アントワネットは処刑されてしまった。

さらにフランス軍がナポリも占領した。
カロリーナは絶望的であると知りながらも本国ナポリに腰をすえてフランスへの抵抗を続けた。
ナポリ王妃はナポレオンに立ち向かったヨーロッパで唯一の王侯であった。

しかしアントワネットの処刑のショックと加齢により彼女の判断力が鈍り始めた。
心身ともに疲労困憊したカロリーナはアヘンを常用し始める。
抵抗もむなしく一家は祖国オーストリアに逃げた。
そしてカロリーナはこの地で亡くなった。


★王の愛人ルチア・ミリアッチョ
1770-1826 56歳没
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夫フェルディナンドは3ヶ月を待たずして愛人ルチア・ミリアッチョと再婚した。
そして皮肉にもナポレオンの失脚により
ナポリ・シチリア王国はフェルディナンドだけの手に戻ってきた。




●フェルディナント・カール
1754-1806 52歳没
モデナ公女マリーア・ベアトリーチェと結婚
1750-1829 79歳没
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●八女 マリア・アントーニア フランス王ルイ16世と結婚→王妃マリー・アントワネット
1755-1793 38歳没

*末っ子のアントーニアはフランスのルイ16世に嫁ぐ。
ギロチンの露と消えたフランス名マリー・アントワネットである。
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●マクシミリアン・フランツ 聖職者
1756-1801 45歳没
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by xMUGIx | 2001-02-02 00:00 | オーストリア
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