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by xMUGIx
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ハプスブルク朝

◆皇帝マクシミリアン1世
先代フリードリヒ3世の子
1459-1519 34歳即位 60歳没

*マクシミリアンは言語の発達が遅く5歳まで言葉を喋れなかったが
元気旺盛でたくましく、何をやらせても見事な技の冴えをみせた。

*「中世最後の騎士」なおかつ「近世最初の皇帝」である。
またドイツ最初のルネサンス人でもあった。

*浪費家。富豪フッガー家に莫大な借金をした。

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『君主論』のマキャヴェッリの証言

気持ちの揺れの大きい人物。
気の短い園芸家で、果実が熟するのを待っていられない。

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■前妻 マリー・ド・ブルゴーニュ 死別*落馬事故で死亡
ブルゴーニュ公シャルルの娘
1457-1482 20歳結婚 25歳没

*絶世の美女としても知られ
この時代の女性にしては珍しく運動好きで狩猟や乗馬、スケートを好んだという。
ブルゴーニュ公国は15世紀後半のヨーロッパでは高い文化水準を誇っていた。
しかし君主シャルルにはマリーしか子供がいなかった。
ゆえにブルゴーニュ公国の継承権はマリーにあった。
豊かな公国の跡取り娘が誰と結婚するのかはヨーロッパで関心の的だった。
娘の縁談をことごとく断り続けたシャルルが
オーストリアの貧しい山国に過ぎないハプスブルク家との縁談を選んだのは
マリーをマクシミリアンと結婚させれば
いつかは自分も神聖ローマ帝国の皇帝になれるのではないかという胸算用が働いたからである。
神聖ローマ帝国皇帝と言っても当時はすでに名ばかりの名誉職のようなものであったが。

しかし君主シャルルの戦死によりマリーと結婚したマクシミリアンがブルゴーニュの君主となった。
オーストリアの片田舎で飢えと貧困に慣れたマクシミリアンは、
ブルゴーニュの宮廷の豪華な食事、ワイン、狩猟、演奏会、舞踏会の日々に驚いた。
マリーは乗馬や狩猟も得意で、二人で夜明けまでダンスを踊り、仲睦まじかった。
マリーとは上流階級の教養語であったラテン語でコミュニケーションを取っていたが
フランス語をマリーから習い会話・読み書きできるまで習得した。
しかし結婚5年目にいつものように夫と狩猟に出かけた妊婦のマリーは
落馬事故で亡くなってしまう。
子供たちは妻の実家ブルゴーニュ公国に取られマクシミリアンは祖国へ追い出されたが
父帝フリードリヒ3世の死により皇帝マクシミリアン1世となる。
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■後妻 ビアンカ・マリア・スフォルツァ
ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘
1472-1510 38歳没●実子ナシ

*2歳でサヴォイア公フィリベルト1世と結婚死別、22歳で皇帝マクシミリアン1世と再婚。
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すべて前妻の子
●フィリップ 皇太子
●マルグリット
フランス国王シャルル8世と婚約破棄、
スペイン皇太子フアンと結婚死別、
サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別
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by xMUGIx | 2001-01-02 00:00 | オーストリア
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