直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
その他
以前の記事

ボナパルト家の人々

◆父 シャルル・マリ・ボナパルト
1746-1785 39歳没

*コルシカ島のフランス貴族

a0130272_1725176.jpg





■母 マリア・レティツィア・ボナパルト
1750-1836 86歳没

ナポレオンが皇帝を目指すと反対し戴冠式には出席しなかった。
有名な戴冠式の絵にはナポレオンの命令によって母が描かれている。
皇太后の称号を得ても他の家族のように贅沢をせず質素に生活した。
彼女はフランスに移り住んでからも終生コルシカ語を使い続けた。

a0130272_1725253.jpg

a0130272_1725376.jpg





◆長男 ジョゼフ
1768-1844 76歳没  

a0130272_172531.jpg



■妻 マルセイユの絹商人の娘ジュリー・クラリー 妹はノルウェー王妃デジレ・クラリー
1771-1845 73歳没

a0130272_1725429.jpg

a0130272_1725523.jpg



●ゼナイード・レティシア・ジュリー
●シャルロット・ナポレオーヌ


ジョゼフはきょうだい達の中で一番ナポレオンを最後まで補佐した。
一時スペイン国王ホセ1世として統治した。

ナポレオンが失脚した時にはスイスに亡命。
百日天下で一度フランスに戻るが、
再度失脚した時はアメリカにのフィラデルフィアに逃れた。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。




◆二男 ナポレオン

a0130272_1725598.jpg





◆三男 リュシアン
1777-1820 65歳没     

a0130272_1725695.jpg



■前妻 宿屋の娘 クリスティーヌ・ボワイエ 死別
1771-1800 28歳没

リュシアンは兄のクーデターを成功させた立役者だったが、
ナポレオンがエトルリア女王と結婚させるつもりだったのに、
勝手に平民の女性と結婚したためナポレオンと不和となった。

a0130272_172571.jpg

a0130272_1725839.jpg



■後妻 両替商の未亡人 アレクサンドリーヌ
1778-1855 77歳没

またも家族の承諾なしに再婚したため、ナポレオンは激怒し兄弟は決裂した。
ルシアンはローマに出立し、後にローマの郊外で生涯を閉じた。

a0130272_1725866.jpg

a0130272_1725979.jpg



●前妻の子 Filistine Charlotte.
●前妻の子 Christine Egypte
●後妻の子 シャルル・リュシアン
●後妻の子 etizia
●後妻の子 Jeanne
●後妻の子 ルイ・リュシアン
●後妻の子 ピエール・ナポレオン
●後妻の子 アントワーヌ
●後妻の子 Marie Alexandrine
●後妻の子 Constance 修道女




◆長女 エリザ
1777-1820 43歳没

a0130272_1725945.jpg

a0130272_173025.jpg



■夫 軍人バチョッキ
1762-1841 79歳没

a0130272_173123.jpg



●Elisa Napoléone Baciocchi


美人ではなかったが知的な女性で、文芸と演劇を愛しサロンを作った。
そして、多くの芸術家を愛人として囲った。
トスカナ大公妃の称号を与えられフィレンツェの宮殿に住んだ。
ナポレオンの失脚後はトリエステに逃れた。
最後はトリエステのヴィラで生涯を閉じた。




◆四男 ルイ→子はナポレオン3世
1778-1846 68歳没

a0130272_173152.jpg



■妻 ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス 離婚
1783-1837 54歳没

a0130272_173237.jpg

a0130272_173394.jpg



●ナポレオン・ルイ
●シャルル・ルイ 皇帝ナポレオン3世


二人はナポレオンの命令により結婚するが、
互いに愛を感じられない不幸な結婚であった。
ルイは結婚前から性病と被害妄想的な神経衰弱に悩まされていた。
知的で教養あるオルタンスとも馬が合わなかった。
同居生活は4ヶ月、その後長い別居生活の後に離婚。
オランダ王に命じられるが、精神的の追いつめられてオランダからボヘミアに逃れ、
最後はトスカナで生涯を閉じた。




◆二女 ポーリーヌ
1780-1825 44歳没   
a0130272_173464.jpg

a0130272_173468.jpg



■前夫 軍人ルクレール 死別
1772-1802 30歳没 
a0130272_173546.jpg



■後夫 イタリア貴族カミッロ・ボルゲーゼ
1775-1832 56歳没
a0130272_173689.jpg



●実子ナシ


ポーリーヌは美人で有名であった。
前夫と死別後再婚してローマに住んだが、後夫は同性愛者であった。
そこで彼女は復讐として彫刻家に自分の裸体を造らせた。
ナポレオンは怒り狂ったが
彫刻でPRした彼女の元にはたくさんの男性が集まり情事を楽しんだ。
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。




◆三女 カロリーヌ
1782-1839 57歳没    
a0130272_173633.jpg

a0130272_17378.jpg



■夫 軍人ミュラ
1767-1815 48歳没
a0130272_173831.jpg



★愛人メッテルニヒ
1773-1859 86歳没

ナポレオンの片腕と言われた将軍ミュラと結婚、
ミュラは一時国王ジョアッキーノ1世としてナポリを統治した。
しかしナポリ王国を中心としてイタリア全土を統一しようとして
ナポレオンに反旗を翻し、処刑される。
カロリーヌはメッテルニッヒの助力でオーストリアに逃れ、
最後はフィレンツェで生涯を閉じた。


●アシル
●レティツィア
●リュシアン
●ルイーズ




◆五男 ジェローム
1784-1860 75歳没   

a0130272_173979.jpg



■前妻 アメリカの富豪令嬢エリザベス 離婚
1785-1879 94歳没

ジェロームは軽はずみで遊び好きな性格だった。
家族の承諾なしにエリザベスと結婚したため離婚させられる。

a0130272_173963.jpg

a0130272_1731029.jpg



■後妻 ヴュルテンベルク王女カタリーナ 
1783-1835 52歳没

前妻のかわりにナポレオンが選んだ後妻。
ドイツの傀儡国家ウエストファリア王国の国王に命じられるが、
政治的無関心、浪費、不品行によるスキャンダルとナポレオンの失脚により
ヨーロッパ各地を流転することになる。最後はパリで生涯を閉じた。

a0130272_173117.jpg

a0130272_1731198.jpg



●エリザベスの子 ジェローム
不明
●カタリーナの子  同名ジェローム
未婚・病死
●カタリーナの子  マチルド 
ロシア富豪アナトーリー・デミドフと結婚離婚・詩人クロディウス・ポプランと再婚
●カタリーナの子  ナポレオン・ジョゼフ 通称ナポレオン公
イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の娘
マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイアと結婚
 



ナポレオンのきょうだいは戦死や処刑という非業の死を遂げた者はいない
彼らはナポレオンと運命共同体というわけではなく
ヨーロッパ各地の王侯貴族と独自に親交をもっていたことが生涯を全うできた理由であろう。
[PR]
# by xMUGIx | 2011-03-03 00:00 | その他

モンテネグロ王国の姉妹

◆父 ニコラ1世 モンテネグロ国王 
1841-1921


■母 ミレナ・ヴコティッチ ペータル・ヴコティッチ公爵の娘
1847-1923


●リュビツァ
セルビア国王ペータル1世と結婚
●ミリツァ
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチと結婚
●スタナ
ロイヒテンベルク公爵ゲオルギーと結婚離婚、ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
●王太子 ダニーロ
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
●イェレナ
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と結婚
●アナ
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフと結婚
●ミルコ
グラホヴォ=ゼタ大公
●クセニヤ
未婚
●ヴィエラ
不明
●ペータル
ザフムリエ大公




●リュビツァ→ゾルカ・カラジョルジェヴィチ●実子3人→子アレクサンダル1世はユーゴスラビア国王
1864-1890
セルビア国王ペータル1世
1844-1921

●ミリツァ●実子3人
1866-1951
ロシア大公ピョートル・ニコラエヴィチ
1864-1931


●スタナ→アナスタシア・ニコラエヴナ●前夫に実子3人
1868-1935

■前夫 ロイヒテンベルク公ゲオルギー・マクシミリアノヴィチの後妻・離婚
1852-1912

■後夫 ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィチと再婚
1856-1929

●ダニロ 王太子●実子ナシ
1871-1939
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女ユッタと結婚
1880-1946


●イェレナ●実子5人
1873-1952
イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
1869-1947


●アナ●実子ナシ
1874-1971
バッテンベルク公子フランツ・ヨーゼフ
1861-1924


●ミルコ●実子1人
1879-1918 
タリヤ・コンスタンティノヴィチ 熟年離婚
1882-1950

●クセニヤ●未婚
1881-1960


●ヴェラ●不明
1887-1927


●ペータル●実子ナシ
1889-1932
ヴァイオレット・ウェグナー
  -1960
[PR]
# by xMUGIx | 2011-03-02 00:00 | その他

バイエルン公家の姉妹

■父 バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフ
1808-1888 80歳没


■母 ルドヴィカ・フォン・バイエルン
バイエルン王マクシミリアン1世の娘
1808-1892 84歳没
a0130272_20452046.jpg

a0130272_20453298.jpg

a0130272_20454458.jpg



●ルートヴィヒ
女優ヘンリエッテ・メンデルと貴賤結婚・死別、女優アントーニエ・バールトと貴賤再婚・離婚
●ヘレーネ 
トゥルン・ウント・タクシス侯子マクシミリアン・アントンと結婚
●エリーザベト 
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚
●カール・テオドール 
ザクセン王女ゾフィーと結婚死別、ポルトガル王女マリア・ヨーゼファと再婚
●マリー 
両シチリア王フランチェスコ2世と結婚
●マティルデ 
トラーニ伯爵ルイジと結婚
●ゾフィー 
バイエルン王ルートヴィヒ2世と婚約破棄、アランソン公爵フェルディナンと結婚
●マックス・エマヌエル
コハーリ侯爵の娘アマーリエと結婚





●ヘレーネ トゥルン・ウント・タクシス侯子マクシミリアン・アントンと結婚、二男二女を生む。
1834-1890 56歳没
a0130272_1425937.jpg

a0130272_14304.jpg





●エリーザベト オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚、一男二女を生む。
1837-1898 61歳没
a0130272_143118.jpg





●マリー 両シチリア王フランチェスコ2世と結婚、不倫で双子を生む。
1841-1925 84歳没
a0130272_143258.jpg

a0130272_143342.jpg





●マティルデ トラーニ伯爵ルイジと結婚、一女を生む。
1843-1925 82歳没
a0130272_143365.jpg

a0130272_143481.jpg





●ゾフィー 
1847-1897 50歳没
バイエルン王ルートヴィヒ2世と婚約・破棄、アランソン公爵フェルディナンと結婚、一男一女を生む。
a0130272_143517.jpg

a0130272_143572.jpg

a0130272_14366.jpg

あの狂王ルートヴィヒ2世と婚約していたが、
ルードヴィヒが結婚式をずるずると延期したため結局婚約破棄、
アランソン公爵フェルディナンと結婚して一男一女をもうける。
ルードヴィヒなんてやめておいて正解である。
[PR]
# by xMUGIx | 2011-03-01 00:00 | その他

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その4

◆父 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1860-1919 59歳没

*貴賤再婚をして国外追放となる。後に赦されて帰国、ロシア革命で処刑。

a0130272_1811951.jpg





■前妻 アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ 死別←ギリシャ王女アレクサンドラ
1870-1891 21歳没
a0130272_17535131.jpg





■後母 オリガ・カルノヴナと不倫ののち貴賤再婚
1865-1929 64歳没

*19歳でスウェーデン貴族エリック・フォン・ピストルコルスと結婚して子供3人、
28歳でパーヴェルと不倫して前夫と離婚、37歳でパーヴェルと再婚して子供3人、
54歳で死別、64歳没。

●前夫の息子 アレクサンドル
●前夫の娘  オリガ
●前夫の娘  マリアンナ

*アレクサンドル・ピストリコルスは
皇后の親友アンナ・ヴィルボワの妹アレクサンドラ・タネーエワと結婚、
夫妻でラスプーチンの熱狂的信者となったため母オリガらとと険悪な関係となる。

a0130272_1754258.jpg





●前妻の子マリア
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚、アレック・プチャーチン公と再婚離婚
●前妻の子ドミトリー
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚
●後妻の子ウラジーミル 
未婚・ロシア革命で処刑
●後妻の子イリナ
フョードル・アレクサンドロヴィチ公と結婚離婚、ユベール・モンブリソンと再婚
●後妻の子ナタリア フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる


後列左から 後妻オリガ 前夫の子アレクサンドル 前夫の子オリガ パーヴェル 
後夫の子ウラジーミル 前夫の子マリアンナ
前列左から 後夫の子イリナ 後夫の子ナタリア   
a0130272_357213.jpg


a0130272_357364.jpg



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
パーヴェル&前妻アレクサンドラの娘 マリア・パヴロヴナ大公女
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚
  
私は母の顔を知らない。
私が1歳半の時に弟をドミトリーを出産し、そのままこの世を去った。
私は6歳になるまで一言もロシア語を話せなかった。
直に接する召使達を含め、家族の間では英語が日常語だったからである。

私とドミトリーは父の机上の黄金の写真立てに、
見慣れない一枚の写真が飾ってあるのに気づいた。
それは巻き毛がふさふさとして愛くるしい4,5歳の男の子で、
くるぶしまで届く長い服を着ていた。
誰なのか尋ねると、父は即答を避けて話をそらせた。

ある午後のお茶の時間、私達はいつも通りノックをしないまま父の書斎の扉を押した。
肘掛椅子に腰かけた父の前に、こちらに背を向けて一人の婦人が立っていた。
振り返ったその顔には見覚えがあった。いつだったか湖水でボート遊びに興じていた時、
通り過ぎたこの女性を観て、美しい人がいると思った事があった。
彼女はきれいだった。非常に美人だった。
聡明そうな顔立ちには形のよい目鼻が並んでいた。
年代物のレースのひだ飾りで衿ぐりと袖口が縁取りされた濃紫色のベルベットのドレスが、
抜けるように白い肌を引き立てていた。
ひと目で彼女の立ち姿が胸に焼き付けられた。今でもまざまざと瞼の裏に浮かんでくる。

そのころ父は2,30マイル離れた騎兵連隊の指揮を執っていた。
ある晩、家庭教師が父の筆跡で書かれた一通の封書を手渡した。
父からの信書は、自分とオリガ・ピストルコルスという女性の再婚を告げるものだった。
自分が孤独に思い悩んだ事、この女性こそが自分を幸福にしてくれるだろう事、
そして自分がこの女性をどれだけ真剣に愛しているかを綿々と書き綴っていた。
同じ時刻、ドミトリーも同じ手紙を手にしていた。
数時間二人は唇をわななかせながら、目が赤く腫れるまで泣き続けた。

しばらくすると、父に関する最悪の一報が伝えられた。
皇帝の勅許を得ずに身分の低い者と結婚した父は、
その時点にさかのぼってロシアから国外追放になり、
皇族としてのすべての権利を剥奪され、その公的歳入は全額没収される事になった。
先日のセルゲイ伯父夫妻の外国旅行は、
国外追放になった父と会ってその後の相談をするためのものだった。
父とその女性はイタリアで秘密裡に挙式した直後、
ローマで伯父夫妻と会い皇帝の裁断を伝えられた。
皇帝の勅許によって、私達姉弟はセルゲイ伯父の保護下に置かれる事になった。
我が家だったペテルブルクの宮殿が閉鎖された後、
モスクワのセルゲイ伯父の館に身柄を引き取られる事に決まった。

数年来関心の的だった父の家庭をようやく目のあたりにすることができ、
異母弟、異母妹達2人とも対面できた。
パリのブーローニュの館は簡素な造りだったが、
居心地が良く平安に満ち満ちてまさしく家庭そのものの雰囲気が漂っていた。
恐らく父はペテルブルクに残してきた宏壮なばかりで寒々とした宮殿には
何の未練もなかったろう。父とその妻は幸せの絶頂にいた。
二人で築き上げた家庭で幸せそうに寄り添う父とその妻を眺めているうちに、
継母にかつて抱いていた悪感情のしこりが心から消えていった。
それ以来私と父の妻は友人同士のように名前を呼び合い
トゥ・トワと言い交わすようになったが、この事は父を非常に喜ばせた。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::








●マリア・パヴロヴナ大公女●前夫に子供1人
1890-1958 68歳没

*18歳で結婚して子供1人、24歳で離婚、27歳で再婚、33歳で離婚、68歳没。

a0130272_17505155.jpg


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
マリア・パヴロヴナ大公女

ある日盗み読みした電報の文面には、
スウェーデンの皇太子妃が私の近影を所望しているので
即刻ストックホルムまで数葉まとめて送付されたしとしたためてあった。
私と弟はうろたえて顔を見合わせた。
最初のショックが去ってしまうとこの一身上の重大事に格別心を動かされなかった。
いつの時代でも王子や王女達の結婚はお仕着せで、
誰もがこの事を甘受するように育てられた。

私は伯母から午後のお茶に客人が見えるので、
昼からは予定を立てずに空けておきなさいと命じられた。
扉が開いて姿を現した若々しい王子を冷静に観察した。
王子は優美な容貌の持ち主で、
気品高く美しい灰色の瞳が濃いまつ毛の間からのぞいていた。
肩幅は幾分狭かったが極めて長身で、それを気にしてかやや猫背だった。

翌朝、私は伯母の待つ客間に召し出された。
「私がこれから話す事をよくお聞きなさいね。
とても大切な事ですから、答える前に充分考えてね。
ヴィルヘルム王子はあなたと近づきになられるために当地にお越しなのです。
あなたをお気に召されて、
あなたが結婚を承諾なさるかどうか気にかけていらっしゃいます。
即答しなくてもいいから充分考えなさい」
「伯母様、あの方はお着きになったばかりだし…。
お近づきになるまでには至ってませんわ。お答えするなんてどうしてできましょう…」

朝方近く、首の痛みで目が覚めた。熱が上がるのにつれて具合は一段と悪化した。
医師が、病気は瘰癧(るいれき)だが、
解熱しない場合には手術が必要になると診断した。
この滑稽かつ頭を悩ませる事の成り行きに、伯母は気を動転させていた。
伯母は私の容体を気遣って王子が座り続けている応接間と、
私の病室とを忙しく行ったり来たりしていた。
夕方から熱が下がり始め、朝が明けると手術の話は立ち消えになった。

伯母は王子の事が気が気でないらしく、
待ちくたびれてしまわないかと戦々恐々としていた。
ついに私の病室に入ってくると、こう宣言した。
「あの若い方をこれ以上お待たせするわけにはまいりません。
王子はすぐにもスウェーデンに帰国される予定です。
何とか御返事をせねばなりますまい。王子に何と申し上げましょう」
「ひとつだけ条件を認めて下さればお受けします。
私は若すぎますもの。18歳になるまでは結婚したくありません」
「王子にはあなたに直接結婚の申し込みをなされてよい旨を、
明朝にでもお伝えしておきます」
あくる日の午後、私は着替えをさせられ私専用の客間に連れて行かれた。
御婦人達はあたふたと午後のお茶を飲み終えると、私と王子を二人だけにして退散した。
王子は私の病後の経過について幾つかの質問をし終えると、
いきなり私の手を取って自分が好きかと尋ねた。
「はい」
「スウェーデンにいらっしゃいますか? 私と一緒に」
もう一度「はい」と答えた。
王子は私の手を唇に持っていくと、そっと接吻した。
「あなたはお疲れです。おいとましますので御休息ください」と声をかけ、
背を屈めて私の額にくちづけしてから部屋を出て行った。
これで私達の縁談は成立したことになった。
伯母達が戻ってくると、私に祝福を浴びせた。

私はスウェーデン国王と一緒にいるといつも安心できた。
私は舅が出向く鹿狩り旅行に同行する唯一の女性の常連だった。
大の親友同士だったうえ甘やかされていたのをいい事に、
舅には幾度となく悪戯を仕掛けた。
新聞はこれを大げさに誇張して書き立てたが、舅はいつも鷹揚に受け止めてくれた。
舅は私には常に寛大で親切で、私も舅には真の友情を感じていた。
あれからさまざまな出来事のあった今でも、その気持ちに変わりはない。

結婚契約に基き、私達夫婦の家計は全額私の方で賄う事になっていたので、
これ以上自分の資産に手をつけたくなかった。
しかし家令が説明する財政状態ではそうも言っておられず、またもや出費が重なった。
結婚に際しての財産上の取り決めは、
伯母とロシア宮廷が最初から不利に事を運んでしまっていた。
私とスウェーデン王子との結婚契約書は、
ロシア・スウェーデン両国の公使が起案し署名した上で
両国の国璽をもって捺印されたもので、私個人ではどうする術もなかった。

夫はライプチッヒ戦争百年記念行事に国王の代理として出席する予定だった。
私は王室の人達と友人達に出発の挨拶をすると、
5年あまりの間私の生活の基盤であった周囲の見納めをする事にした。
息子を残していくのは気がかりだったが、
すぐにでも手元に引き取れるものと楽観していた。
息子との再会が長年実現しないなどとは、その時は夢にも思わなかった。
10月中旬、私達はスウェーデンを後にした。
心に秘めた意向は誰にも打ち明けない方が無難だと判断した。
夫にもスウェーデン国外に出てから初めて告げた。
ベルリンの駅に弟が立っているのを見出した時は、ほっと胸をなでおろした。
私達は長時間かけて話し合い、夜になると3人で晩餐会に出席した。
あくる日私はパリに向けて発った。
父と継母は温かく迎えてくれた内にも一抹の不安を隠さなかった。
彼らはこの一件に付随する複雑な局面を、私よりはるかに見通していた。
結婚の解消はスウェーデンではその年の12月に入る直前、
ロシアではその数ヶ月後に公表された。
今日顧みるとあれほどの重大事件が
あれだけ迅速に簡単に万端ぬかりなく処理され得たのは、実に不思議なくらいである。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


■前夫 スウェーデン王子ヴィルヘルム 離婚
1884-1965 81歳没

a0130272_1751293.jpg



■後夫 ミハイル・セルゲイヴィッチ・プチャーチン公の子アレック・プチャーチン 離婚
1893-1968 75歳没

a0130272_17512386.jpg









●ドミトリー・パヴロヴィチ大公●子供1人 
1891-1941 50歳没
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚
1904-1971 67歳没

*ドミトリーはラスプーチン暗殺グループの一人。
皇帝ニコライ2世夫妻は激怒してドミトリーを国外追放する。
国外にいたおかげでロシア革命による処刑を免れる。

*バイセクシャルのプレイボーイ。ココ・シャネルとも浮名を流した。

*オードリーは離婚後、グルジア貴族ドミトリー・ジョルジャーゼと再婚・離婚。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後パリにいた頃、
ブーローニュの森の果てにあるシャトー・ド・マドリードの夕食会に招待された。
そこには思いがけずドミトリー・パヴロヴィチ大公が友人達と一緒にいらしており、
うれしい再会になった。
1916年末、彼がラスプーチン暗殺に加わったとしてペテロブルクを追放されてから、
私達は一度も会っていなかった。
革命の直前にロシアから追放されたおかげで、生き延びる事ができたのだった。
周りの人がまったく目に入らない様子で、
彼はうれし涙を流しながら私の腕に飛び込み、キスを浴びせられた。
その後、私達がパリを離れるまで毎日お会いした。

数年後の1926年ドミトリー大公はピアリッツでオードリー・エメリーと結婚された。
彼女は美しいアメリカ人で、すぐに皆をとりこにした。
二人は結婚後カンヌにヴィラを借り、
私達がパリに移った時にはルール城に住んでいらした。

1942年03月ドミトリー大公がダヴォスで亡くなられた。
ドミトリー大公はサナトリウムに入っておられたがまだ50歳を超えられたばかりで、
私達はその早すぎる死を悼んだ。
最初のうち人生は彼に微笑みかけているようだった。
美しく裕福で好ましい女性と結婚され、息子も生まれた。
その後彼は全部を失った。離婚して健康を害し、
彼を愛する人々と離れてダヴォスで最後の孤独な日々を過ごされた。
わずかな弔問客が村の小さな共同墓地へ向かう霊柩車の後に従った。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

a0130272_16434294.jpg

a0130272_16435345.jpg

a0130272_1644350.jpg

a0130272_16441184.jpg

a0130272_16442062.jpg

a0130272_16442935.jpg

a0130272_16443978.jpg

オードリーと息子家族
a0130272_1644493.jpg

ドミトリーと別の女性
a0130272_1645214.jpg

ドミトリーとナターリア(イトコのミハイル・アレクサンドロヴィチ大公の妻・バツ2)
a0130272_16451180.jpg

同じくドミトリーとナターリア(ちょ、人妻にしては距離が近すぎないか?)
a0130272_16452123.jpg

ドミトリーとココ・シャネル
a0130272_16453370.jpg

同じくドミトリーとココ・シャネル
a0130272_16454248.jpg









●ウラジーミル・パヴロヴィチ・パーリィ公爵令息 未婚・ロシア革命で処刑
1897-1918 21歳没

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ウラジーミルの異母姉 マリア・パヴロヴナ

ウラジーミルは非凡な人間だった。
読書量と卓抜した記憶力は周囲を驚かせるのに充分だった。
彼が他の子供達と異質であるのを見抜いた両親は型にはめた教育をしなかった。
子供の頃から立派なできばえの詩を作り、見事な戯曲を創作し、
ピアノを自由自在に弾きこなし、絵もよくした。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

a0130272_3581983.jpg

a0130272_3583299.jpg

a0130272_3584635.jpg

a0130272_3585871.jpg









●イリナ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢●前夫に子供1人・夫に子供1人
1903-1990 87歳没

*20歳で結婚して子供1人、ユベール・ド・モンブランゾン伯爵と不倫関係となり、
31歳でモンブランゾンの子供1人生む、33歳で離婚、
47歳でモンブランゾンと再婚、87歳没。

a0130272_3594981.jpg

a0130272_3595872.jpg



■前夫 フョードル・アレクサンドロヴィチ大公 イトコ結婚・離婚
1898-1968 70歳没

a0130272_401539.jpg

a0130272_402779.jpg



■後夫 ユベール・ド・モンブランゾン伯爵
1892-1981 89歳没

a0130272_404587.jpg









●ナタリア・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢●実子ナシ 
1905-1981 76歳没

*22歳で結婚、31歳で離婚、32歳で再婚、56歳で死別、76歳没。

*フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる

a0130272_41585.jpg

a0130272_411674.jpg



■前夫 ファッションデザイナー リュシアン・ルロン 離婚
1889-1959 70歳没

a0130272_413543.jpg

a0130272_421982.jpg



■後夫 プロデューサー ジョン・チャップマン・ウィルソン 死別
1899-1961 62歳没

a0130272_423421.jpg

a0130272_424483.jpg



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
姉妹の異母姉 マリア・パヴロヴナ大公女

姉妹は外見上も気質の上でも似通ったところがまったくなかった。
姉のイレーヌは痩せぎすの物思いに耽るタイプで、他人に強い印象を与えた。
目鼻立ちは父親似で平凡だった。

妹のナターシャはころころしており、そり気味の鼻、桜色の頬、美しい金髪の巻毛を持つ、
陽気で激しい性格の少女だった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
[PR]
# by xMUGIx | 2011-02-24 00:00 | その他

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その3

◆父 アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1850-1908 58歳没
a0130272_1834695.jpg





■母 アレクサンドラ・ズコーヴスカヤ 貴賤結婚・離婚  
1842-1899 57歳没
a0130272_184177.jpg





●アレクセイ
トルベツコイ公女マリアと結婚離婚、ナターリヤ・フォン・シェッピンクと再婚




●アレクセイ・アレクセーエヴィチ・ベリョーフスキイ伯爵●前妻に子供4人
1871-1931 60歳没

a0130272_15363458.jpg



■前妻 トルベツコイ公女マリア 離婚
1872-1954 82歳没

a0130272_15365351.jpg



■後妻 ナターリヤ・フォン・シェッピンク
[PR]
# by xMUGIx | 2011-02-23 00:00 | その他


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング